初めて関西を訪れたのは中学の修学旅行で行った京都・奈良で、個人的に旅行に行った時も京都や和歌山や兵庫で、TVとかで良く見て知っているにも関わらず、まーったく縁が無かった場所。それが大阪。
そんな私が大阪と深く関わるようになったのは、ツレが大阪出身だったからです。
そして、深く関わらざる得ないのだけれども、もっとも苦手なのも大阪 ^^;
義母との初対面は今もって忘れられませんw
それは、新横浜駅でお見送りをする際に入った天麩羅屋での出来事。
天麩羅の下に和紙が敷いてあったりするじゃないですか。
その時も敷いてあって、といっても駅構内にあるようなお店なので、別に凝った折り方とかしているわけではなくて、角を合わせずにちょっと斜めにして折ってあったんですが。
「こういうちょっとした心遣いが料理を美味しく見せるんやで。よく覚えとき。」
とその油まみれの和紙を手に持ち、一人感動している義母 (’’
と、私のバッグをなぜか手に持って・・・
突然!その油まみれの和紙をガシッと突っ込んだ Σ( ̄ロ ̄lll)
「この折り方覚えるために、持って帰り!」
・・・って、そんな単純な折り方、持って帰って覚えるほどのもんじゃないからっ><
ってか、感動した本人が持って帰ればいいじゃないかぁ ・゚・(ノД`;)・゚・
哀れ、私のお気に入りのバッグの中は油まみれ orz
・・・そして、そのちょっとした心遣いは結婚して10年以上経過してますが、未だにお目にかかったことはないですヨ (’’;
結納じゃなくてお食事会で軽く済ませちゃおう。
とツレと言っていたのに、気がつくと結納の日が決められてしまっていました (’’
で、結納当日。
ピンポーン♪ と我が家にツレと義父母到着。
「こんにちは」と挨拶をするも、先方は無言で、ノシノシと入ってきました (・・;)
えっ!? なぜに!??? この期に及んで反対ですか!???? ( ̄■ ̄;)!?
玄関で、義母が私に耳打ちしたところによると、結納の時はお互い準備が整って挨拶をするまでは無言じゃないといけないんですって・・・
そうやって今話す事もダメなんだけど、あんたんとこは知らないだろうから。って。
知らないって分ってるんだったら、前日会った時に言ってくれればいいのに (´・ω・`;)
何の事前予告も無く、無言で上がりこみ、なにやら作業を始めた義父母。
挨拶するも無視されるような形になり、固まる私と私の両親w;
赤い毛氈を敷かれ、その上に金銀赤のおめでたカラーの針金細工の伊勢海老やらの形をした細工物を並べてゆきます。
大阪の常識=全国の常識 じゃないんだぞ~ (´-ω-`;)ゞ
さて、式の日取りも決まりまして。
決める事が一杯あるんですね (’’
なにせ大阪と東京ですから、どっちでやるのかから始まり、式場をどうするかから何から何まで、親っていうものは色々と勝手に動くもんですねw
私の父親なんて、勝手に式場まで決めちゃうところでした ーー;
都内の某老舗ホテルの当時の支配人が、父の高校の時の同級生だったらしく、「頼んどいてやったから」なぞと偉そうに言い出したもんで、こらまてーっ!です (’’;
大きい式場って嫌だったんですよね、ワタシ・・・
友人の結婚式とかで、花嫁と花嫁がすれ違う時の空気ったら ((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
一度花嫁同士が同じエレベーターに乗り合わせちゃったことがあって、その時はもう怖いのなんの!
お互いに頭のてっぺんからつま先までジロジロと見て、殺気にも似た物を感じましたw
ツレの親から「引き出物は出来るだけ大きく!引き菓子はバームクーヘン!」と命令が下りました。
友人の結婚式でも、当時やたらとでっかくて重い引き出物を貰って往生していたので、引き出物はなるべく小さくしようねと言っていた私らの意見と思いきり対立!w
引き菓子も小さく、紅茶風味のチョコレートなんておしゃれ~な物にしようとしていたのに、ともかく、バーーームクーーーヘーーーーーーン!!!
理由を聞いても、ともかく 引き菓子=バームクーヘン。
しかも、小さいのじゃなくて、箱に1個大きいのがどーんと入っているの!と指定 ^^;
結局引き出物は、大阪グループ、東京グループに分けるのもなんなので、年寄り用、若者用で2種類用意して、年寄り用はともかくかさばって重いものにw
中身よりも、カタログに書いてある大きさと重さを重視して選びました (A;´・ω・)
引き菓子は押し切られて全員バームクーヘン ^^;
・・・が、悔しい事にこれが好評だったから頭くるw
ちなみに、大阪からやってきた親族は、帰りの新幹線の中で1人1箱、手づかみでこのバームクーヘンを食べきったんだって Σ(゚∀゚*)シエーッ
式の日に向けて、花嫁ってのは色々やらなくっちゃいけないわけです。
ドレスを選んだり、小物を選んだりももちろんですけど、私の場合は気に入ったドレスをどうしても綺麗に着たくって、3ヶ月程ジムに毎日通ってました “o( ̄‐ ̄*)
今よりもかなーり体重も↓だったのですけど、ともかくドレスの種類はあってもそれぞれサイズがバラバラで1サイズしかなかったりするわけですね ><
でもどうしてもどうしてもコレを着るんだ!と、既にきつかったのに予約しましたw
チャレンジャーですね (’’
若いなぁ・・・
式の1週間前に、花嫁は化粧のノリを良くする為に顔そりをするように指示されます。
今はレディスシェービング等、女性用の顔そりをする所もあるし、床屋でもそれ専用のブースがあったりするんですけど、その頃はなかなかそんなところも見つかりません。
結局、近所のおじさんや小学生と一緒に床屋さんで顔をそってもらいました。
なぜ1週間前かというと・・・
「カミソリ負けしても1週間もあれば落ち着くから」だそうです (’’
カミソリ負けの花嫁・・・ ーー;ウーン
私はカミソリ負けはしなかったものの、細かい切り傷がつきました ;-;
本番までには直りましたけどね (゜-Å)
それはともかくとして・・・
ジムに通って、いよいよ本番前日に測定。
コケの一念、岩をも通す。
やったぁ~♪ 目標達成 ^0^ノ
ところが、最大の落とし穴はここで待っていました・・・
測定後にプログラムを組みなおすんですね。
その日、達成感もあいまって、張り切っていた私に、不幸は突然やってきた!
グキッ (◎ー◎;)
腰に激痛がっ (;゜0゜)ノ
行きつけのほねつぎに即効行ったら、
先生 「ギックリ腰だねぇ・・・そういえば近々結婚式って言ってなかったっけ!?」
私 「明日です~ ;-;」
先生 「ど~してすぐに来なかったの!!!?」
私 「今なったんです~ ;-;」
かくかくしかじか状況を話し、翌日式場に行く前に、朝早くから特別に時間外対応で治療してもらうことになりました ^^;;;
カミソリ負けの花嫁は回避したものの、ギックリ腰の花嫁誕生 (´;ω;`)
式当日、当初の予定ではツレと一緒に区役所行って、婚姻届を一緒に出すはずだったんですが、私はギックリ腰の治療でほねつぎに行くことに。
湿布のニオイをプンプンさせて、式場に花嫁登場ですよ~ 。。。ミヽ(。><)ノ
「そういえば、婚姻届ってどうなったんだっけ?」と結婚式から暫くしてからツレに言ったら、「オレが一人で出しに行ってきたよ(怒)」と言われました (´-ω-`;)ゞ
さて、結婚式当日。
幸いなことに、ドレスの下に着るコルセットが、腰痛の私を助けてくれましたw
コルセットに助けられて大分楽にはなったものの、着ているドレスのスカート部分が非常にボリュームあるものだったので、椅子に深く座れず半腰状態で座らなければならないのです。これが腰にはめっぽう辛い体勢 (´Д`。)
でも、花嫁だもの、主役だもの、我慢しなくっちゃ o(TヘTo)
花嫁入場。片手は私の父の腕に置いて、もう片手でドレスの裾とブーケを持ちます。
裾を引きずるドレスに憧れていた私は、おもいっきり裾が長いタイプできれいに広がるボリュームのあるスカートを選んだのですが、これが重いわ嵩張るわ。
更に追い打ちをかけるように、知り合いの花屋さんに頼んだブーケが非常に立派なものだったので、こちらもスカートに負けないほど重かったのです。
この2つを父の腕に置く手の反対側の手1本で持たなければいけないので、重さで手が震えるんですねw;
結婚式って、なんて重労働なんでしょう (;-_-) =3
当日の神父さんは、誰もが口を揃えて「あんなに話が長い神父さんは初めて」と言う程に、話の長い人でした orz
腰が・・・腰が辛いぃぃぃ ヽ(≧Д≦)ノ
私はもう、自分の腰の痛みだけでいっぱいいっぱいで、ただただ話が早く終わってと祈っていました。
他の人達はどうかというと・・・
結婚式のビデオを後日見たら、神父さんの話の長さに耐えきれず、眠気と戦ってサンダーバードの人形みたいな動きをしているツレ。
そして、既に船を漕いでいる私の父と、そんな父を肘で小突いて起こそうとしている私の母 ーー;
その頃、まだ独身だった友人達から、「いい式だったね~」と言われる度に、ハハハ・・・としか言うしかないですよねw
式が終わって、写真撮影して、親族控室へ。
なにやら、内輪で揉め始める大阪の親戚達。関西人、血の気が多い!
てか、こんな日に喧嘩とかやめてくれ~ o(TヘTo)
披露宴ではお色直しは1回だけとはいえ、花嫁さんはまともに食べる時間はありません。
座っている間は、お祝いに席まで来てくれる人達と歓談し、お酌を受けて、何か一口食べるだけでも、横に控える式場のスタッフの介助をしてもらわないと食べられないのです ^^;モウタイヘン
そして、お色直しのために新郎より一足先に一度退場。
一応、一口二口、軽く食べられる物をお色直しの支度中に口にすることは出来るんですが、そんなのでお腹は膨れませんね (´;д;`)
披露宴は、司会者の方が大いに盛り上げてくれました。私とツレで式場の人に「芸が出来る司会者」とリクエストを出したのですが、南京玉すだれとかを披露しちゃうような芸達者な人でした。
なんで「芸ができる司会者」なんてリクエストを出したんだろう、私達w
子供の頃から色んな人に、「お父さんは(私の)結婚式じゃ泣いちゃうよ」って言われてました。確かに友人の結婚式に行くと、新婦側のご両親が泣いている光景をよく見ました。
ところが私達の式の最後。私とツレとそれぞれの家族が並んでご挨拶をする時、激しく泣いていたのがツレの両親。私の父なんてニッコニコ Σ(゚∀゚*)
ツレの両親は、ツレが大阪にUターンせずに東京でこのまま暮らすことで大泣き。私の親は、私が嫁に行ったとしてもすぐ近所に住むので嫁に行くという実感が薄かったみたいです。
最後の最後まで妙ちきりんな結婚式でした (´`)=3
なんとか無事に結婚式が終わり、家に帰ったらもうグッタリ・・・
ツレは披露宴で全てではないもののそれなりに食べられたようなのですが、私の方はもうお腹もペコペコで動けない orz
結局、ご馳走とはかけ離れた夜食を食べて終わりました。
結婚式はすっごく良い思い出ですが、こうして改めて振り返ったら超ハードな経験でした (’’
想像していた物とはかなり違ってましたが、これはこれで面白くて良いw
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