今回はなかなか旅行先が決まらず。
というよりも相方の休みが確定せず、いつ行くんでしょうか?本当に行けるのでしょうか?って感じだったので、決定したのが8月に入ってからでした。
決定してから休みまでの間に時間もあまり無かったので、どうやら面倒くさくなったようで珍しくバスツアーにしたようです。
で、今回行きたいと思っていたのが、霧島温泉、指宿温泉の2箇所で、この2箇所が入るバスツアーとなると1つしか見つからなかったようです。
それが今回参加した、「篤姫ゆかりの地と鹿児島の人気温泉・スポットを巡る」というツアーになっちゃったわけです (’’
そして旅行2日目は、「篤姫ゆかりの地」がクローズアップされる行程となりました。
【いぶすき篤姫館~今泉島津家別邸跡・麓集落】
指宿に限らず、只今鹿児島の各地で篤姫館がオープンされているようですd(’’
指宿の篤姫館は、市民ホールの一角でしたw
某国営放送で放映中の大河ドラマのセット、そのドラマで使われた衣装、主演女優のインタビュー映像を、ガイドさんに案内されて見ることが出来ます。
・・・ってか、見せられる、見なければならない ーー;
ドラマ見てないとサッパリ楽しめませんし、そもそもなんでここに私はいるの? (’’
って思ってしまいますw;
史跡とか実在の篤姫本人の持ち物とか写真展とかならともかく、ドラマだし (*´-ω-`)
ガイドさんは非常に熱心にドラマの説明をしてくれて、篤姫館で放映されている映像の中に、ドラマのすごく良いセリフがあるから覚えてください!と言われます。
が・・・、どうにも時代錯誤過ぎるセリフでピンと来ない orz
普通のツアーではたいてい入り口でガイドさんとは別れるし、前日のガイドさん(珍しいことに男性)も、入り口の所で見所を説明してくれて、
「後は集合時間まで自由に見てください。」
って感じだったのに、えー、どこまで一緒に来るの!?と思うほど、ずーっと付いて来て(というよりも付いて来させて)こだわりポイントを熱く語られるのだ ーー;
まぁ、指宿の篤姫館は小さかったのでとりあえず一通り見れたんで付いて来て貰っても問題なかったけど、これがこの先イラつく元となるのであった。
前日のツアーではお客さん4人。
そしてこの日はお客さん2人。
そう私達だけである ーー;
私は結構乗り物に弱かったりするので、気持ち悪くなってきたら即効寝るようにしており、ガイドさんから出来れば隠れられる位置に座りたいと思っていたんですね。
が、「そんな所に座らないで一番前にいらっしゃい」と、一番前の席に移動させられる。
会話をするならともかく、一方的に話を聞くのって結構つらいんですよね。
まだ自分が興味ある話ならともかく、「ドラマ篤姫」の話だとちょっと・・・ ^^;
ガイドさん曰く、宮尾登美子作の「天璋院篤姫」は創作箇所がかなり多いのだとか。
まぁ、物語として楽しくするためには仕方が無いし、それは当然の事だとは思うのだけれどね。だからその篤姫の話をまるで史実の様に宣伝したりしているというのは困ったものだと言ってました。
が、そう言う一方で、ドラマのシナリオ集みたいな本(ガイドさんの私物)を持ってきて、今後の展開についてずーっと話をされるのにはお手上げでした ^^;
ドラマの篤姫は見てないけど、フジテレビの大奥の1作目って確か篤姫でしたよね。
って私が耐え切れずに言ったら、
「民放!?それって民放でしょ!民放は作り話ばかりだからダメよ~」って・・・
オイ ーー;
今泉島津家別邸跡は、現在小学校になってます。
その中に当時使っていた井戸と手水鉢が有って、観光客の為に休日でも学校は開放しているんですね。ただし、校舎内は立ち入り禁止。
当時の井戸は学校の前庭辺りにあって、現在は石の板で蓋をされてます。
で、ここが篤姫のゆかりの地なのかというと・・・
篤姫がここに来たかは定かではない。というか、来なかった可能性が高いと (’’
なんかこの学校の前の浜とかがドラマの撮影で使われていたんだって。
で・・・、連れがボソッと、
「これって、ドラマ篤姫ゆかりの地めぐりですかね?」
まぁ~、そうですかねぇ。だってw;
国道(?)からこの学校までは徒歩5分程で、近くに大型バス(乗員4人・・・)が止められるような場所が無いので、国道(?)沿いに真新しい駐車場と綺麗なトイレがありまして。これって、「篤姫予算」で出来たんだってw;
ちなみに、小学校の前の砂浜も台風でかなり砂がさらわれてしまったのだけど、「篤姫予算」で何トンという単位で砂を運んできたんだって ^^;
こーゆーことには行政って太っ腹なんですねw
【加治屋町散策・維新ふるさと館】
西郷隆盛や大久保利通が育った所がこの加治屋町だそうです。
それぞれ公園になっているようで、今は石碑が建ってました。
皆に愛される西郷さん。鹿児島中で銅像が建っている西郷さんですが、この記念碑に関しは、大久保利通の方が先に建造されていたのだそうです。
そのすぐ側にあるのが維新ふるさと館。
ここでもガイドさんに先導されて、「どうしても見て欲しい所」を案内される訳ですが・・・
あんまり興味が無い人形劇に30分近くも監禁される ーー;
もっと当時の物とか、遺品とか、そーゆー物を見たかったんだよぉ 。゜゜(´□`。)°゜。
結局この劇のせいで時間が無くなって、あんまり見れませんでした ;-;
そうそう、ガイドさんに案内された中で1つだけ面白いなと思ったものを見ました。
全然関係ない気もするんだけどね・・・
それは、国歌「君が代」の原曲。
今よりも音階も多くて華やかな感じで、吹奏楽での演奏でした。
どーしてこんなにお経みたいな曲になっちゃったんだろ・・・ (’’;
【鹿児島タウン】
鹿児島の駅の辺りでランチ。
蕎麦粉100%のお蕎麦を食べました。(ツアーについてきた定食についてた)
確かにこれが鹿児島の代表的なお蕎麦ではないとは思いますし、思いたいのだけど、蕎麦粉100%とはいえ、こんなにボロボロでお箸で食べられないお蕎麦は初めて ^^;
レンゲで掬わないと食べられなかったんですねw
これって何でしょう? (’’;
鹿児島の駅ビル(?)の中で、ずーっと探していた焼酎を発見しまして。
’赤霧島’ってやつなんですけどね ^-^
過去1度だけ飲んだことがあって、なかなか飲みやすく美味しかったので、現地でもあまり手に入らない(まぁ今はオンラインショッピングというのもあるんですけどね)と聞いていたので、焼酎が並んでいるお店を覗く度に探していたんですね。
で、ここで発見は出来たんですけど・・・
’赤霧島セット’ということで、その他4種類の焼酎とのセット販売でした ^^;
悩んだ末に買いましたけどね。せっかくだしw
さすがに5本も持ち運べないので、宅急便で送ってもらいました。便利ですねw
鹿児島の街中には西郷さんを始めとして色々な銅像がありまして。
その中で、最近鹿児島の人に人気急上昇なのが’小松帯刀’の銅像。(ガイドさん談)
篤姫の頃の薩摩藩主、島津斉彬の家老がこの人。
30代前半だかに亡くなったらしく、かつあまり表舞台に出てこなかった人物らしいのですが、西郷隆盛や大久保利通の上司となり、彼らを上手く登用し、薩摩藩をよく治めたとか。
今回のドラマで俄かに脚光を浴びているようですin鹿児島 (’’
【仙巌園・尚古集成館】
仙巌園は島津のお殿様の別邸跡。
まぁ、広い広い ^^;;;
よく各地のお城(復元)を見て思うのは、思ったよりも小さいなぁ・・・なんですが、この別邸を見ると、やっぱり本当は大きかったんだろうなぁと思いますねw
一番見晴らしの良いところに当時の邸宅が有りまして、ここは桜島を正面に見れる最高の借景を誇っています。
尚古集成館は、島津家の歴史と、展示品の博物館といったところでしょうか。
感心したのは、島津斉彬の博識さと好奇心の強さ。
イメージの中のお殿様というのは、ポーっとした感じなんですけど(勝手な想像)、
このお殿様ってばものすごい (´-ω-`;)ゞ
なんというか研究熱心だし ^^;
そもそもここは、島津斉彬が作った、
《アジアに進出して植民地化を進める西欧諸国の動きにいち早く対応するために、製鉄、造船、紡績等の産業をおこし、写真、電信、ガス灯の実験、ガラス、陶器の製造など、日本の近代化をリードする工業生産拠点》なんだそうです。
ここもガイドさんにお尻叩かれながら、ガイドさんお勧めスポットと展示品とを見て回ります。もう忙しい忙しい (A;´・ω・)
園内は広いし、すっごく暑いしで、バテバテでした orz
もうクタクタになってバスに戻って、あまりに眠くてウトウトしそうになったら、
「あら、疲れちゃったのね^^ もうちょっとで説明も終わるからがんばって!」と寝かせてもらえませんでした (、、
たたでさえ2人しか居ないというのに、連れがあまりにもドラマ篤姫に興味がなさそうだからなのか、私の方ばっかり向いてガイドしてくれました。
・・・ものすごく気疲れした~ (´ヘ`;)
写真は左から、仙巌園のお屋敷辺りから見た桜島、仙巌園内にある猫神の祠。
*ちょっと信オンのNPCを鹿児島のシンボルなので共演させてみました @w@
●こぼれ話●
信onですっかりお馴染みになった島津の家紋。丸十字。
ところが、この「丸十字」が使われるようになったのは江戸時代からだそうです。
で、信長が居た時代の家紋は、「十字」で周りの丸はなかったんだって (’’
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