奥の院は、高野山の東に位置する、20万基を超える墓石や石碑を擁する場所です。
ここが高野山の墓所なのですね。
だから私が宿泊した寺院には墓所が無かったわけです ^^b
奥の院の西端より最奥(ここに弘法大師御廟があります)までの参道は約2kmにもおよぶそうです。
ここでは特に「撮影不可」は書いてません(弘法大師御廟付近は除く)が、さすがに墓所なので自主規制です m(_ _)m
奥の院には全国の戦国武将の墓所、供養塔、霊屋が並びます。
敵対、友好関係なく並んでいるので、戦国武将が好きな人には堪らないスポットでしょう。
そのせいか、ここには歴女と思われる若い女性の1人歩きが多いです。
実際、私が見つけたのは、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉(豊臣家)、武田信玄、石田三成、明智光秀、伊達政宗、前田家、島津家、毛利家、北条家、紀州徳川家(徳川家としては紀州しかないのか。と思っていたら、奥の院の反対側、高野山北西の方に、徳川家霊台があります)など。
この中で上杉謙信の霊屋は、小さな赤い社です。
高台に設置されており、ちょっと変わった形なので見つけやすいかと思ったのですが、思いの外見落としやすい隠れた場所にありました。
雨脚も激しくなってきたので、足元の崩れかけた石の上を歩くのは大変で、余計に見つけにくかったのかも知れませんけど。
ちょっと面白かったのは、弘法大師(今も御廟で生きているとされている)に一番近い場所にあったのが、宮内庁の管轄地(歴代天皇陵)と春日局供養塔ということでしょうかw
明治天皇は明治神宮にて神様となってますから、大正天皇以前の歴代天皇が眠っている。と、近くにいた団体さんにガイドさんが説明してました。
となると、昭和天皇はどちらに? (’’
高野山は明治5年に解かれるまで、厳格な女人禁制の修行所でした。
高野山に入れない女性は、その入口に設けられた参籠所という場所でお祈りをしていたのだそうです。(現在残っているのは女人堂1ヶ所のみ)
男尊女卑が厳しかった時代であるにもかかわらず、春日局の供養塔が弘法大師御廟に一番近い場所(歴代天皇陵の参道を挟んだ反対側)にあるなんて、すごい権力を持っていたんだなぁと実感できます (*゚0゚)
(春日局は大奥を作った人)
また、高野山七不思議の内の2つが、奥の院に存在します。
1つは、「覚鑁坂(かくばんざか)」。
42(死に)をひとつ越える43段を登りきると死を超えるが、途中で転ぶと3年以内に亡くなる
もう1つが、「姿見の井戸」。
この井戸を覗きこんで、自分の姿が見えないと3年以内に亡くなる
なんだか、どっちも縁起悪いなぁ ーー;
で、ツレと一緒に姿見の井戸を覗き込んでみましたが・・・
見えない !!!!!!(゚ロ゚屮)屮
雨が激しくって (屮゜Д゜)屮
墓所を抜けると、灯籠堂。
ここでお参りしまして、その奥に進みますと、御廟です。
階段を降りると小さな仏像がずらりと並んだお部屋に入れます。
小さな仏像が並んだケース(?)みたいなものが壁沿いに並んでます。
更に奥に行くと、巨大な三鈷杵とこれまた巨大な数珠がテーブルの上に置かれてまして、皆様すりすりと触っていきます。
どうやらこれに触ると良いらしいので、私もなでなで・・・
ちなみに、数珠の1珠だけで、手の中に入らない程大きいですw
そうそう、戦国武将や有名人以外にも、企業の墓所が結構あります。
パナソニックやクボタ等の関西系企業多数。
大抵が、会長や社長、創始者のお墓と、亡くなった従業員の慰霊墓との2基セットになってました。
面白かったのはグリコのお墓。
家紋の部分が、両手を上に上げたグリコのマーク Σ(゚∀゚*)
洒落っ気があっていいね (^m^
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